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Izmirとその周辺

女子大生のゴミエブリデイ

虫歯治療で人造人間になる話

 

 生まれてこのかた歯科治療というものをしたことがなかった。それが一変したのはつい半年前、近所の歯医者で気まぐれに定期検診を行なってもらった時。

 

 その日から今に至るまでずっと歯科治療に通っている。いつの間にか口内が虫歯まみれになっていた。カクテル飲んでそのまま寝ちゃったりしてたからかな。ココアが好きでよく飲んでいるし。

 

 歯は大幅に再生することはない。虫歯がある程度進行してしまうともう出遅れで、人工の何らかの素材を死ぬまで口内に留まらせなければならない。私はそれに気づかず歯を蔑ろにしてきた。

 

 治療をしていると、自分がどんどん人間から遠く離れた存在に感じてくる。自分の身体に人工物が増えていくと同時に、人間として何かが欠如していく気がする。

 ロボットとまではいかないが、人造人間のような、そんな存在になった気持ち。

 

 だから、歯医者にはいつも人造人間になるために行く。そんな気分で待合室で座って名前が呼ばれるのを待っている。

 側からみたら気づかないだろうけど、私、人造人間なんだと心の中で誰かに言いたくなる。

 

 そんなことを言ったら、幼少の時点でう歯治療している人間なんか長年人工物を体内に嵌め込んでいるんだから……と思うかもしれない。他人の話は抜きにして、少なくとも私は、もう純粋な人間ではないのだ。

 

 純粋な人間ではないけれど、確かに人間として生きている。

 人間ってなんでしょうね。

 

 

夢を追う親友との差を感じた話

 

 老いも若いも、夢を追う人は輝いて見える。

 

 先日、親友と飲みに行った。

 その人は芸術系の学問を専攻しており、将来の夢もその方面の職業に就くことだ。芸術で喰っていくことは容易いことではない。親友はそれを私の何倍も痛感し、日々努力している。

 

 親友とは高校時代に出会い、大学進学後も仲良くしてもらっている。私はここ数年いわば「燃料切れ」のような状態で、夢に向かって努力するだけの力がある彼女を常に羨ましく思っている。私にはもう何年も夢らしき願望もない。

 

 飲んでいると、家族に纏わる話になった。家族の誰かが亡くなった時、自分はどうしてると思う?と。私は県外で稼いでから故郷に帰ろうと考えているので、訃報を受け取るのはどこか知らない土地で働いている時だろうと思った。

 

 親友は何気ない風に「漫画家になっていて、漫画を描いている時に訃報を知り、明日〆切なのに〜!と焦りながら帰省の準備をするかな」と言った。

 

 打ちひしがれた。

 

 

 彼女はいつでも輝いている。こんな話の中でさえも。

 

 

祖父の葬式で居眠りした話

 

 地元を離れて数ヶ月後、祖父が他界した。ガンだか何だかわからないが、祖父は長い闘病生活を続けていた。

 

 当時その祖父とは、祖父が他界するまでのたったの3ヶ月ほどだけ祖父と孫の関係だった。ワケありな関係である。

 

 祖父が入院した際、私は家族と共にとある病院に面会に行った。祖父にはいろんな機械が繋がれており、病状は一目みてわかった。

 私は近しい人にエールを送ったり親しそうに触れ合ったりするのが苦手だ。ましてや先日祖父のポジションについた男性に。無理だ。おじいちゃんの手を握ってあげて、と祖母に言われ、しぶしぶ手を握った。

 その側から祖母が私に小さい声で言った。「ごめんね、(私の名前)ちゃんがあっちに帰ったら、多分もうおじいちゃんには会えないと思う」。

 

 これが私と祖父の最後の面会となった。

 

 冬のある日、電話で呼び出され、1泊分の荷物と黒のスーツを手に帰省した。実家はどことなく慌ただしかった。母はインフルエンザを患っていた。

 

 翌日、初めて告別式というものに参加した。県都の斎場の一室に通され、スタッフの方に焼香の手順などを教えてもらった。そして会場に通される。

 

 祖父の告別式の会場は、異様だった。祭壇の中心に遺影がドンと置かれ、四方は祖父の経営した会社の社章やなんかの図柄が花で表現されていた。そして弔問者のための席が恐ろしいくらいの数、用意されていた。金がかかっている、と思った。数年前に他界した某国の総書記の葬儀を思い出した。

 

 告別式。父は弔辞を読んだ。しゃんとして臨んでいた祖母は、焼香する時になって嗚咽を漏らしていた。参列できなくてごめんなさい、と会場の外で母は祖母に泣きついていた。

 

 告別式にはたくさんの人が訪れた。祖父は多分人望があったのかもしれない。もしくは、他の何か。とにかくたくさんの人が焼香をあげに訪れ、一般焼香の時間がとてつもなく長く感じた。

 

 あんまりにも長くて、いつの間にか居眠りしていた。近しい親族が亡くなっているのに、ひどい失態。それなのに、緊張感も罪悪感もなく、私はそんな自分に困惑していた。

 

 権力を誇示するかのような葬式、家を継ぐという重圧丸出しの父の弔辞、私には気持ち悪くて仕方がなかった。逃げたかった。「貴女はお姉ちゃんだから、わかってくれるでしょ?」という母の声が身体中に響き渡っていた。そしていつの間にか寝ていた。

 

 私が居眠りしたことは誰も気づいていないようだった。多分。そうであってくれと願うばかりだった。気づいたとしても、まあ昨日帰ってきたばかりだし、と思われていてほしい。

 

 告別式は滞りなく終わり、私はすぐに公共交通機関で空港に向かい、自宅へ帰った。

 

 

 

 

 家族や親族に嫌悪を感じたのは初めてだった。

 

 長子として、家に恥をかかせないために奔走してきた。家族が大好きで、両親の言葉に何の疑いを持つこともなかった。

 なのに。

 告別式後もやっぱり困惑していた。

 

 

 私が心身のバランスを崩し始めたのは、ちょうどその頃だった。何も気づいていなかった。

 

 

 

 

*どうしても記録に残しておきたくて、書きました。不快に思われた方には、陳謝致しします。

 

 

父が昔くれたピアニッシモの景品の話

 

 最近、喫煙してみたいと思う時がある。

 アークロイヤル、キャスター、キス、ピアニッシモ……初心者でも吸える銘柄は結構あるようだ。バイト先やよく行く飲み屋では喫煙者を見かけることが多く、意外と周りに触発されるもんだな、と思ったりする。

 

 

 私が幼い頃、転職した父が煙草を吸い始めた。銘柄はピアニッシモ。女性向けと言われている銘柄だ。

 父が転職した業界は男社会で、喫煙所が社交場だったのかもしれない。新しい環境と人間関係に馴染むための手段が、煙草だったようだ。極力身体に影響がないようにと、手に取ったのがピアニッシモだったのかもしれない。(全部憶測)

 

 コンビニで煙草を買うと、選んだ銘柄に販促の景品がついてきた、なんてことがある。ライターとか携帯灰皿とか、だいたいは喫煙のための道具がオマケとしてついてくる。

 ある日、どこかに家族で出かけた際、父がコンビニで煙草を購入した。すると、景品がついてきたらしく、私にくれた。表はオフホワイト、裏地はショッキングピンクの布でできた、タバコと同じサイズのミニポーチ。ジッパーを閉めていれば小綺麗なデザインだった。ピアニッシモは女性が多く購入する銘柄なので、景品も女性を意識したデザインにしてあるのだろう。

 私はそれをデジカメケースとして使っていた。小型のデジカメを入れるにはぴったりのサイズだし、持ち手もついてて、何よりデザインが「かわいい」。

 

 当時、妹のほうが見た目も性格も(いわゆる)女の子然としており、より女児向けのデザインのものは妹に、大人っぽい若しくはボーイッシュなデザインのものは私に分け与えられてきた。「かわいい」ものから縁遠い存在だと自分を認識しつつあった私は、急に与えられた「かわいい」ものに心躍らせたのであった。

 

 数年後、母が妊娠したことをきっかけに父は禁煙した。ニコレットを噛んでいた。ミニポーチは無くしてしまった。かわいいデザインだったから、今手元にあったら絶対使っていたのに。

 

 

 店頭でピアニッシモを見かけると、父とのその思い出が頭の中をよぎる。喫煙できる年齢になったので1度試してみたいと思いつつ、結局怖くて手が出ない私なのであった。

 

 

祖母のタブーに触れた浅慮な私の話

 

 ある理由から、私には3人ずつ祖父母がいる。表題の「祖母」とは、私との祖母-孫歴が最も浅い祖母のことだ。

 

 祖母には謎が多い。個人的なことを聞いてはいけないようなオーラが漂っている。どこで生まれ育ち、どんな仕事をしたり趣味を楽しんだりしているのか、よくわからない。おしゃれが好きでいつもちりめん生地の服を着てて、けれども口紅を施すことを嫌っている。唇に何か付いている状態がイヤなんだとか。

 

 実家から祖母の家まで100mほどだ。帰省すると、いつも仏壇を拝みがてら祖母宅を訪問する。

 

 この前の年末、寒さに耐えきれず、逃げるように実家へ帰った。そして祖母宅を訪問した。祖母と私だけだった。NHKを観ながらいろいろ話した。

 仏壇に線香をあげてきなさいと言われ、仏間へ向かう。祖母もついてきた。線香をあげ、手を合わせる。仏壇の横には何かの神様の神棚と、コピーしラミネート加工がされた家系図が飾られている。

 

 祖母には若くして他界した息子がいる。仏壇の位牌には彼の名前が刻まれていた。私の実家では彼を名前+「さん」で呼ぶ。

 彼の話は断片的にしか知らない。最新の情報は、生前は中森明菜が好きだったということ。(祖母は「もっと健康的な人のファンになればよかったのにね」と言っている。私も明菜ちゃんのファンなんですけど!)

 

 彼の名前は、うちの家系の中では特殊だ。そのことを私はずっと不思議に思っていた。だから、思い切って聞いてみた。

 祖母は顔色ひとつ変えず、彼に名付けをした際のエピソードを語った。祖父と生家の仲が悪かったこと。祖父が生家に反発して付けた名前であること。

 ふーん、そうなの、と私は単に情報を得た気分で聞いた。そのうち日が暮れたから、また仏壇に手を合わせて実家に帰った。

 

 

 帰宅して母にこの話をした。母は言った。

「おばあちゃんは(息子の名前)さんにああいう名前を付けたことをとっても後悔してるんだよ。自分たちがああいう名前を付けたせいで、早く亡くなってしまったのかもしれないって。」

 母は少し責めるような目で私を見ていた。

 

 しまった。そうだったのか。後悔した。私はそう思わないけど、とか言えなかった。いつもなら言うのに。

 メチャクチャ。おばあちゃんと仲良くなりたかっただけなのに。私がバカなばっかりに、祖母のタブーに触れてしまった。アイマスで言えば「バッドコミュニケーション」。でも、祖母は私を叱ることもなかった。祖母と言っても出会ったのは数年前で、未だにたまに会う親族同士のような距離感なのに。

 

 

 もう時間は巻き戻せない。それに私は謝るのが極端に下手だ。今度帰省するときはとっておきの手土産と先日購入した中森明菜のアルバムを持っていき、誠意を見せることにする。

 

 

高校時代、毎朝親友宅で過ごしていたという話

 

 私が3年間過ごした高校は、私の実家からバスで30分、下車後は更に坂道を15分登った丘の上にある。私の親友はその丘の麓に住んでおり、私は毎朝彼女の家まで親友を迎えに行き2人で登校していた。

 

 私が迎えに行く時間に彼女の支度が済んでいることはあまりない。私は彼女の支度が済むまでの間、毎朝親友宅にお邪魔し過ごしていた。

 

 彼女の母がお茶を出してくれる。たまに切った果物も。リビングに新聞が置いてあり、勝手に読む。リビング横のちょっとしたスペースに彼女の父の書斎があり、大きな本棚にはさまざまなジャンルの本がギュウギュウに詰めてあり、遠目で(近眼だからほとんど見えないが)それを眺める。彼女の両親と世間話をする。

 そうしているうちに親友が支度を終え、私は彼女の両親に挨拶をし、2人で登校する。

 

 そうやって過ごす時間が私には不思議と心地よかった。朝の忙しい時間にお邪魔しては勝手に優雅に過ごしていた。私が自宅で起床し出かけるまでの時間は15分ほどだったので、親友宅でゆっくり過ごすことで何らかのバランスを取っていたのかもしれない。

 

 月日は流れ、親友は留学に行き私は受験生になった。毎朝お邪魔することはさすがになくなったが、時々ゲリラ的に訪問しては彼女の両親と過ごしていた。前と変わらずよくしてくれた。

 

 高校を卒業し県外に進学した後も、帰省した際はたまに挨拶をしに行く。晩御飯をご馳走になり歓談したりする。

 

 こうして未熟な私を広い心で受け入れ、今でもよくしてくれる親友とそのご家族に感謝している。今度帰省したら、手土産を持っていこう。

 

 高校時代の朝の日課。もう1度あの頃に戻りたい、という気持ちにさせるエピソードである。