読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Izmirとその周辺

女子大生のゴミエブリデイ

祖父の葬式で居眠りした話

家族

 

 地元を離れて数ヶ月後、祖父が他界した。ガンだか何だかわからないが、祖父は長い闘病生活を続けていた。

 

 当時その祖父とは、祖父が他界するまでのたったの3ヶ月ほどだけ祖父と孫の関係だった。ワケありな関係である。

 

 祖父が入院した際、私は家族と共にとある病院に面会に行った。祖父にはいろんな機械が繋がれており、病状は一目みてわかった。

 私は近しい人にエールを送ったり親しそうに触れ合ったりするのが苦手だ。ましてや先日祖父のポジションについた男性に。無理だ。おじいちゃんの手を握ってあげて、と祖母に言われ、しぶしぶ手を握った。

 その側から祖母が私に小さい声で言った。「ごめんね、(私の名前)ちゃんがあっちに帰ったら、多分もうおじいちゃんには会えないと思う」。

 

 これが私と祖父の最後の面会となった。

 

 冬のある日、電話で呼び出され、1泊分の荷物と黒のスーツを手に帰省した。実家はどことなく慌ただしかった。母はインフルエンザを患っていた。

 

 翌日、初めて告別式というものに参加した。県都の斎場の一室に通され、スタッフの方に焼香の手順などを教えてもらった。そして会場に通される。

 

 祖父の告別式の会場は、異様だった。祭壇の中心に遺影がドンと置かれ、四方は祖父の経営した会社の社章やなんかの図柄が花で表現されていた。そして弔問者のための席が恐ろしいくらいの数、用意されていた。金がかかっている、と思った。数年前に他界した某国の総書記の葬儀を思い出した。

 

 告別式。父は弔辞を読んだ。しゃんとして臨んでいた祖母は、焼香する時になって嗚咽を漏らしていた。参列できなくてごめんなさい、と会場の外で母は祖母に泣きついていた。

 

 告別式にはたくさんの人が訪れた。祖父は多分人望があったのかもしれない。もしくは、他の何か。とにかくたくさんの人が焼香をあげに訪れ、一般焼香の時間がとてつもなく長く感じた。

 

 あんまりにも長くて、いつの間にか居眠りしていた。近しい親族が亡くなっているのに、ひどい失態。それなのに、緊張感も罪悪感もなく、私はそんな自分に困惑していた。

 

 権力を誇示するかのような葬式、家を継ぐという重圧丸出しの父の弔辞、私には気持ち悪くて仕方がなかった。逃げたかった。「貴女はお姉ちゃんだから、わかってくれるでしょ?」という母の声が身体中に響き渡っていた。そしていつの間にか寝ていた。

 

 私が居眠りしたことは誰も気づいていないようだった。多分。そうであってくれと願うばかりだった。気づいたとしても、まあ昨日帰ってきたばかりだし、と思われていてほしい。

 

 告別式は滞りなく終わり、私はすぐに公共交通機関で空港に向かい、自宅へ帰った。

 

 

 

 

 家族や親族に嫌悪を感じたのは初めてだった。

 

 長子として、家に恥をかかせないために奔走してきた。家族が大好きで、両親の言葉に何の疑いを持つこともなかった。

 なのに。

 告別式後もやっぱり困惑していた。

 

 

 私が心身のバランスを崩し始めたのは、ちょうどその頃だった。何も気づいていなかった。

 

 

 

 

*どうしても記録に残しておきたくて、書きました。不快に思われた方には、陳謝致しします。